福島市 板倉神社

板倉神社

板倉政要と三方一両損

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板倉政要とは

板倉勝重・重宗、父子の京都所司代在職中における施政の大要を記したもの。
民事・刑事法例集(「板倉氏新式目」)と裁判説話集から成り、江戸幕府の法典「公事方御定書」のモデルになった。
裁判説話集には、「聖人公事捌(せいじんくじさばき)」という話があり、これをもとに作られた話が、大岡裁きとして有名な「三方一両損」である。
三方一両損を含む「大岡政談」は、名奉行として評判の高かった大岡忠相(越前守)を主人公として創作された。
実際には、彼が江戸町奉行職にあった間、自身で担当した主な事件は白子屋事件くらいで、有名な天一坊事件ほか殆ど関わっていない。
講釈師や戯作者の手により、大岡政談などから百編近い虚構の逸話が流布。それがまた大岡政談となって講談や落語、歌舞伎に脚色された。
井原西鶴の「本朝桜陰比事(ほんちょうおういんひじ)」の中の「落とし手あり拾ひ手あり」の話もそうである。

板倉勝重(いたくら かつしげ)1545年生1624年没

禅僧であったが、父好重と弟定重の戦死により還俗(げんぞく)し、家督を継ぐ。
徳川家康に仕え、駿府・江戸町奉行を経て京都所司代となる。
近江・山城などに1万6千石を領した。享年80歳。

板倉重宗(いたくら しげむね)1586年生1657年没

板倉勝重の長男。徳川秀忠の側近として仕え、父のあと京都所司代となる。
35年在職、父と共に名所司代といわれた。
下総関宿藩(しもうさせきやどはん)譜代5万石藩主。享年71歳。

大岡忠相(おおおか ただすけ)1677年生1752年没

幕臣。書院番から目付、山田奉行、普請奉行などを経て、8代将軍徳川吉宗により南町奉行に登用された。町火消制度の開始、小石川養生所や目安箱の創設をはじめ、商人の仲間・組合を公認するなど、享保の改革を実務で支えた。寺社奉行、奏者番を兼帯し、加増により大名となる。
三河西大平藩(みかわにしおおひらはん)1万石藩主、越前守。享年75歳。

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