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- 板倉神社
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福島藩主板倉氏の祖である板倉 重昌(しげまさ)、重矩(しげのり)の二人の霊を祀るために、11代(福島板倉藩8代藩主)勝長が、寛政4(1792)年に江戸藩邸内に開いた。
その後、文化2(1805)年に、福島城本丸内に安置した。明治2(1869)年に、三河への転封で一時三河へ遷座(せんざ)されたが、明治15(1882)年に旧領民の懇請で再遷座、旧藩士らが募金を募のり、現在の場所(旧福島城内紅葉山)へ再建した。
板倉重昌(いたくら しげまさ)1588年生1638年没
家康に幼少から仕え、方広寺「鐘銘事件」においては問題の鐘銘箇所を指摘、家康の使いとなり、また「大坂冬の陣」の講和に際しては、軍使となって活躍。のち、三河深溝(みかわ ふこうず)1万5千石を賜り、板倉家初代となる。
寛永14(1637)年の島原の乱の鎮圧に出陣。上使として、松倉、細川、鍋島、立花らの九州諸大名を指揮したが、原城を落とすことができず、幕府は松平信綱を派遣して軍の立直しをはかろうとした。
この幕府の処置を恥じ、信綱到着前に落城させようと翌15年1月1日総攻撃をかけたが、玉砕的な戦死を遂げた。
享年51歳。
(辞世)
新玉の歳に任せて散る花の名のみ残して先駆けと知れ
板倉重矩(いたくら しげのり)1617年生1673年没
板倉重昌の長男。寛永14(1637)年島原の乱に際して父重昌と共に九州へ赴く。戦死した重昌にかわって功名を上げるが、軍律に違反し一時逼塞(ひっそく)させられた。
16年三河深溝藩主をつぎ板倉家2代となり、同時に三河中島藩主に転じた。
大坂定番を経て寛文5(1665)年老中となり、一時京都所司代となるが、のち老中に再任。
数度の加増により12年下野烏山(しもつげからすやま)藩主5万石となった。
大坂定番のころの逸話として、大坂城の落雷、炎上の際の冷静な対応ぶりが伝えられ、また京都所司代として朝廷からも厚い信任を得ていたという。
享年57歳。